これだけ大きく、細分化された産地が形成された出発点を探ると、安土桃山時代の茶人、古田織部まで遡るのかもしれませんが、もう少し近代から。
消費地である名古屋に近い方から「多治見・土岐・瑞浪」の3市が特に美濃焼にまつわる職種が多く、多治見にはいわゆる産地問屋と呼ばれる、生産者に代わって販売業務を一手に引き受け、生業とする卸商が多かったことが一つ挙げられると考えます。
問屋はいわゆる商品企画も行っていたため、様々な要望が作り手に寄せられ、その要望に応え続けることで、作り手は素材、色、形、焼成法、ありとあらゆる技術を磨いてきました。
また、一度にたくさん作ることができれば、値ごろな価格に抑えることができるため、多くの人に良いものが届けられるよう知恵をふり絞ってきた結果、現在のように、「やきもの」に関する職種が集積し、大きな産地となった地域です。
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