『叔父からの思い出のうつわ(前編)』番外編 參窯スタッフY.IさんとR.Iさんの場合(第一話)‐作り手の大切な器、我が家の食卓‐

『作り手の大切な器、我が家の食卓』カネコ小兵製陶所の伊藤社長編 第三話・最終から続く 


―(番外編 第一話)參窯スタッフY.IさんとR.Iさんのの大切な器、我が家の食卓(語り手:スタッフY.Iさん、R.Iさん  聞き手:カネコ小兵・伊藤社長、作山窯・高井社長、深山・松崎社長、野口品物準備室・野口さん、司会:深山・柴田)

【左手前のスタッフY.Iさんがご家庭で使っている器を紹介』

【叔父からの思い出のうつわ】

司会:少し番外編ですが參窯運営スタッフもうつわを持ってきたので、お話伺っても良いですか?最初に先ほどのカネコ小兵伊藤社長の奥様とのお話*1に思わず大きく頷いていたY.Iさんから。

スタッフY.Iさん:今回持ってきた食器ですが、昔、イギリスに留学していて、その頃はチャリティーショップで器を買ってたんです。そこで手に入れるおばあさんの世代の懐かしいようなレトロチックな器が私が作る料理とは合うなと思ってたんです。この器は帰国してから手に入れたものですが、同じような思い入れのある器なので持ってきました。

『伊藤さんが自宅で使っている40年以上前の美濃焼の器』

スタッフY.Iさん:手に入れたきっかけは多治見で窯業関連の仕事していた祖父の弟にあたる叔父さんの家によく行っていたのですが、そこには面白い器がたくさんあって、「なんでも持って行っていいよ」言われていたので頂いたことです。祖父の年齢からすると、この製品は50年くらい前の器なのかな。セットで揃えると見栄えがするので、友人が来る時にかっこいい料理が見せたくて、ローストビーフとかで使ったりするんです。こういうものを使うのが好きなんですよね。集まって食事をするとすごく関係が近くなるような気がするので、そういう時によく使っている器です。

『お皿の裏には、CAPPUCCINO YAMATO JAPAN と』

司会:お皿の裏にyamatojapanとあります。私は聞いたことが無いのですが今はもう無いメーカーで作られたものでしょうか?

カネコ小兵 伊藤社長(以下 カネコ小兵):ヤマト陶器さんだね。もう廃窯されていて、その跡地は今はスーパーになってるけど、当時は美濃を代表する食器メーカーの一つで。そこで作ってた製品じゃないかな。

スタッフY.Iさん:そうなんですね。叔父さんから頂いて食器として好きだったから、もっと叔父さんに話を聞いてたら良かったなと思っていたので、そういう歴史的な事を知る事ができるのは嬉しいです。

カネコ小兵:それは良かった。多分、昭和40から50年頃の製品で、素材は磁器じゃないよね?

作山窯 高井社長(以下 作山窯)そうですね素材は半磁器*2ですね。海外の家庭向けの輸出用の食器*3として作られていたものじゃないかな。当時は輸出用洋食器が多く作られていたし、この模様はそのころの日本の食卓で使われるようなデザインではないからね。

『アイボリーがかった色合いのお皿に、呉須と錆を混ぜた絵具で草花模様を描いたうつわ。よく見ると草葉の部分にはその形の彫刻が彫り込まれている』

司会:この模様は現代のようなパット印刷機で描かれているんですか?

カネコ小兵:印刷機じゃないね。少しずつ模様も違うから一つ一つ手描きで絵付けしてますね。

司会:この輸出用にかなりの大量生産を行っていたのに、この密度の模様を手描きで施すって今ではとても考えられないですね。また、この器の成形はどのような方法でしょうか?きっと現代の様な機械での動力ロクロではないですよね。

『水コテ成形の作業風景。昭和30年ころの写真のため、今回の製品より更に10年遡った当時の美濃焼の製造風景』

作山窯:時代的には水ゴテ成形*4じゃないかな。内型にレリーフが彫刻してある伏せ型での成形だと思う。ここのお皿のフチの角が丸いことからも見てとれるね。

司会:うつわからその時代環境や当時のものづくりの工程を感じられるって面白いですね2021年7月23日掲載)⇒番外編『作り手の大切な器、我が家の食卓』參窯スタッフY.IさんとR.Iさんの場合(第二話)に続く・・・*7月30日掲載予定(毎週金曜掲載)


●脚注:*1.心が温かくなるこのお話は(第三話・最終)カネコ小兵 伊藤社長の大切な器、我が家の食卓にて  *2.炻器、stoneware(ストーンウェア)などとも呼ばれる。陶器と磁器との違いはその原料の構成比。焼き物は粘土、長石、硅石の三つで構成されていて、陶器は粘土分の比率が高く、磁器は長石や硅石の比率が高い。半磁器が陶器と磁器の中間と称されるは、実際にこの構成が陶器と磁器のそれぞれの構成の間となっているため。 *3.江戸時代からの食器の一大生産地であった美濃地域での輸出用洋食器製造は明治時代からはじまり、昭和40年から50年ころにピークを迎え、昭和59年にはメーカーだけで950社存在し総従業員は15000人を超えていた。その規模を示すエピソードとして、そうした洋食器は当時名古屋港から世界に出荷されていたが、その量は名古屋港から出荷される貨物の半数以上をしめており、その様から海外の貿易関係者は名古屋港を食器屋と呼んでいたと当時を知る輸出業者は語る。*4.水ゴテ成形とは、器の形をした石膏型の上に板状にした粘土を置き、石膏型ごと回転させて、上から器の形をしたコテと呼ばれるゲージを押しつけて粘土をのばし形づくる方法。コテで器の外側を押すのが「外ゴテ」、内側を押すのが「内コテ」。


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