(第8話)『コピーの元凶は窯元?問屋?』‐美濃焼について思うこと‐

『美濃焼について思うこと』*第7話「美濃焼産地の中の十二の産地」から続く


―(第8話)コピーの元凶は窯元?問屋?―(語り手:カネコ小兵 伊藤社長、作山窯 高井社長、深山 松崎社長)

深山 松崎社長(以下 深山):僕が入社した20年くらい前は、瑞浪の一部窯元にも肥田地区のような雰囲気があったんですよ。これは言いづらいですけど、当時、窯元の●●社がコピー製品を作って業績が好調だったので、大手小売チェーンの幹部から「●●を見習え」なんてことを言われたことありましたね。そうした窯元は美濃地区だけでなく他地区も含めて購入量の多い大手の問屋さん*1にも相当な量を買ってもらっていたから、コピーしてでもそこに好まれるものづくりをしてしまっていたんですよね。

カネコ小兵 伊藤社長(以下 カネコ小兵):そういう話は、他の地区にもいっぱいあるんじゃない(笑)ちょっとこういう席では言えんけどね。(笑)

司会:当時は、問屋さんが欲しいものを作らないと買ってもらえないっていう事でしょうか?

作山窯 高井社長(以下 作山窯):昔のそういう窯元はコピーが盛んだったからね。有田や京都や九谷あたりの陶器祭り*2に「売れるものを探してくるわっ」て買いに行ってね。ある意味、目が利くから大したもんだと思ったよ。そのセンスは他のものに生かせばいいと思うけど(笑)

●全国からやきもの好きが集う「やきもの祭」の場所にも・・・

司会:問屋さんからの指示でコピーを作るんじゃなくて、窯元が率先して作るんですか?

カネコ小兵:問屋さんが持って来るもあるけど、窯元も持って行くんだよ。自主的に。

作山窯:ちょっと違う意味だけど、問屋が持ってくるものもあった。それは窯元が縁の深い問屋に相談して他の窯元の新作を持ってくること。

深山:(驚)えげつないですね。

作山窯:えげつないよ、陶器祭りでも、マスクして帽子かぶって変装していってたらしいけど、きっとバレバレだよね。その中でもよく仕入れたと思うよ。マークされてるのに。その後の製品開発も、陶器祭りで見本が手に入ったら1週間あれば製品にしちゃうからね。制作のために型屋さんや釉薬屋さん*3をまとめて呼んで、見本の製品を見せ、まず型屋さんに成形用の石膏型を頼んで、その石膏型が納入されるまでの間に釉薬屋さんと釉薬を調合しちゃう。みたいなね。

●現在に受け継がれる手描きの技術も、写し写され根付いたもの。

カネコ小兵:あと絵付けについても、手描きの職人の育成に「元よりも上手く、早く」っていう独自の基準があって、『上手く』は良いんだけど、問題は『早く』だよね、元よりも短い時間で上手なものを作るっているのは、結局、安く描くにはどうしたらいいかって言う事で、それが基準なんだよね。でも皮肉なもので、そうして手早くたくさんのうつわを手掛けることで、結果的には産業での技術をもった手描き職人の養成につながっちゃうんだよ。

作山窯:当時の美濃焼の大きな販路の一つに割烹料理店が多かった。だから、そうした料亭に合いそうな雰囲気としてやきものの伝統的な定番絵具の呉須(ごす)と錆(さび)*4を使った絵付けは必須でしたね。でも、形にしても絵柄にしても、結局そういうコピーによるものづくりだから、違う窯元なのにそっくりな製品があったりするんです。毎年正月に産地内で新作発表の見本市があるんだけど、そこに同じような製品が並んでいる窯元は当時は結構たくさんあったよ。

カネコ小兵:当時の見本市ではたぶんに製品発表より技術発表のような雰囲気があったね。「うちの窯元では、こういうものづくりが出来ますよ」っていう。

●思い出まじりに語らう三社の社長(左より:深山 松崎社長、作山窯 高井社長、カネコ小兵 伊藤社長)

作山窯:そういう窯元は1年間でサンプル代だけで数百万単位使ってたと思いますよ。企画とかデザイナーは必要なくて、人を育てるよりも、陶器祭りで見本を買った方が早いみたいな感じですよね。

司会:当時の話でしょうか?

作山窯:今も必要無いと思ってる窯元もそれなりにあるね。デザインは難しいじゃないですか。当たるものもあれば外れるものもある。だから、その不確定な事にお金使うんじゃなくて、売れそうなものをセレクトして参考にした方が早いから。社内に企画やデザイナーは必要無いよってね。

司会:当時それは後ろめたい気持ちはなかったのでしょうか?

作山窯:あの人たちにはないんだと思う。こっちは同じ美濃って見られちゃうからいい気分はしないよね。

カネコ小兵:でも、開発するよりコピーする方が効率的だっていう流れは、ものづくりの悪循環を作ってるよね。元を作った有田や京都や九谷から、コピーを作る美濃に移って仕事を得ても、そのうち、さらにコストの低い東アジアに移るだけ。結局安ければいいって言うコストで勝負する製品だから定着しないよ。コストで勝負する製品に生じるこういう流れは産業の世界的なものだから止められないしね。そしてその流れの中で製品も陳腐化してしまってものづくりとしてのレベルも下がっちゃう。悪循環だね。2021年11月19日掲載)⇒第四回座談会「(第9話)下請け工場から自社工場に・・・(仮)」に続く・・・*次回11月26日掲載予定(毎週金曜掲載)


脚注:*1.製品の検査・梱包・物流を担う業態。美濃地区に限らずやきものの主要な生産地では、器を作る「窯元」と出来た器を梱包し発送する「問屋」の二つの主な業態がある。この問屋は産地内にあるため『産地問屋』と呼ばれる。基本的に物流機能を持たない窯元は、直接デパートや小売店に販売するのではなくこうした問屋を介して納入する。中でも有力な問屋は日本中に展開する大規模のチェーンストアなどへの納入窓口となるため、非常に大きな金額の仕入れを窯元より行う。つまり窯元からみると上得意となり、この上得意先に製品を購入頂く為、その問屋が求めるものを作る事が最優先となりコピーなど倫理観にもとるものづくりを行う場合がある。*2.産地を上げて行われる陶器祭りはゴールデンウィークや秋の連休時などを中心に日本全国のやきもの産地で行われる。中でも日本三大やきもの祭と呼ばれるものは非常に来場者も多く、その一つ美濃焼産地である土岐市で行われる土岐美濃焼祭には30万人以上が来場する。ちなみに三大のあと二つは愛知県の瀬戸焼祭り(来場者50万人程度)と佐賀県の有田焼まつり。有田焼まつりの来場者は驚きの100万人以上(いずれも新型コロナ前の来場者数)。 *3.通常の製品開発では、まず型屋さんと相談し試作用の型を制作してもらい形を試行錯誤し確認してOKが出てから、釉薬屋さんとの打合せを行い試作品で色を確認する。製品開発には当然コストが発生するため、もし製品化できなかった場合を考えると無駄になるかもしれない釉薬開発を形状開発を同時に進めることは不安を感じる。この辺りが初めから製品化を想定したコピー製品ならでの開発手法。 *4.いずれも古くから使われるやきものの顔料。呉須はコバルトが主原料であり、焼成すると深い青に発色する。錆は鉄分が主原料であり焼き方にもよるが基本的には鉄が錆びたような茶色で発色する。


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