(第9話)『下請けから自社開発に』‐美濃焼について思うこと‐

『美濃焼について思うこと』*第8話「コピーの元凶は窯元?問屋?」から続く


―(第9話)下請けから自社開発に―(語り手:カネコ小兵 伊藤社長、作山窯 高井社長、深山 松崎社長)

司会:(前回のお話で)不必要だと言われていた製品企画を自分たちで行えるか否かという点は、今の美濃焼に必要なのでしょうか?

カネコ小兵 伊藤社長(以下 カネコ小兵):その点は、当時、深山さんや作山窯さんが自社のオリジナルデザインの製品を作ったのは画期的だったよ。20年くらい前だろうか?カネコ小兵では徳利を作ってた頃だけど、OEMだから企画と言うよりは、お客さんの言うこと聞いて「この形状がいい」とか「この容積がいい」とかってやってた時だったのに、この2社は当時から独自路線でやってて。周辺を気にせず自分たちで新しい美濃焼を作るんだという志がずっと続いてるよね。

●自社開発のはじめころの器たち。左:ロータス(作山窯)、右:オビ(深山)

司会:僕が入社した時にはすでに開発室があったので、なぜ深山がオリジナルデザインの制作をはじめたか知らないのですが、どういう経緯で始まったんですか?

深山:さっきの大手問屋さんの「●●(コピー窯元)さんを見習え」みたいな考えに首をかしげるところがあったのが一つ、そしてもう一つに当時、ふじ工房と言う窯元に陶磁器意匠研究所*1出身の佐藤さんというデザイナーというか陶芸家がいて、その方から「言われたものだけを作っていたら駄目だ」と言われてたこと。

 それを契機にデザイナーを採用してオリジナル製品開発を開始しました。そうして生み出した製品がきっかけで新たな取引先が生まれて、お客さんの幅も広がった、それからはオリジナル開発の必要性を疑わずに現在に至ります。

司会:スタートは産地の風習への反骨心ですか?

カネコ小兵:反骨精神というか新しい考え方じゃないかな?自分のオリジンを出したいっていう。美濃はいいものを安く大量に作ってとにかく売るぞっていうスタイルでやってきました。特に瑞浪の陶(すえ)地区*2がそうだよね。当時の陶地区は洋食器の一大産地で世界の工場で、ウェッジウッドなどの欧米のハイブランドの製品を参考にやってたよね。そうしたように美濃は何でもできるってやってきたから特徴が無いって呼ばれる地域になったけど、その中で「これではいけない」っていう想いがこの2社にはあったんじゃないかな。

●洋食器製造が盛んな頃の瑞浪市陶(すえ)地区。たくさんの煙突がのぼる町の中で大量生産の器が作られ世界中に輸出されていた。

司会:高井社長はいかがですか?オリジナルの製品を作ろうという想いがありましたか?

作山窯:作りたいものを作るだけだよね。問屋に合わせてばかりいたらコントロールされるし、窯元が表に出れない。自分たちで開発して、自分たちのロゴ*3をつけた方がいいと思う。当然、商売だから売れるものは作らないといけないし、今でも産地にはコピー合戦はあるけど、そことは距離をおいて独自性のあるものを作るだけだよね。真似してたらいつか終わる。自分たちの作りたいものを作っていた方が長続きすると考えてるよ。

カネコ小兵:真似をすればするほど価格も上がらないしね。価格決定権が問屋に移っちゃう。

司会:コピー自体はどうですか?今でもまだまだあるのでしょうか?

作山窯:結局、物が売れないこの時代になってデザイナーや企画担当を雇うことが一段と難しくなってるよね。お金になるかどうかわからない人材に給料払わないといけない*4訳だから。でも、それでも雇うかどうかということ。設備投資と同じようにちゃんと投資として考えられる経営者は雇うと思う。そういう感覚を持った人ならば、小さな窯元でもまだまだ伸びていくだろうし。

●当時の産地の状況や想いを語る三窯の社長(左より深山 松崎社長、作山窯 高井社長、カネコ小兵 伊藤社長)

カネコ小兵:焼き物には昔から「写し(うつし)」という言葉がある。素晴らしい製品をいかに写し、それをきっかけに技術を高めて最終的にはオリジナルのものになるんだけど、実際ほとんどは写しで終わっちゃってる。それでクリエイティブな部分が損なわれた部分はあるよね。

 魯山人が必要なんだよ。産地には。割烹食器は魯山人が企画し食事が美味しい器だぞと生み出した。僕の言う魯山人とは企画者と言う意味だけど、その魯山人(=企画者)に窯元自身がならないといけない。

司会:それは窯元各自でクリエイティブとかオリジナリティを磨かないといけないという事ですか?「写し」で言うと、ぎやまん陶→online storeやリンカに似た製品がリーズナブルにホームセンターなどで売られてますが、その点をどう思われますか?

カネコ小兵:似て非なるものだよ。ぎやまん陶が売れ始めた頃、この漆ブラウンはすごくコピーされたけど、結果的に今、ズバリのコピーは無いんです。単純に難しいから。焼き方で輝きが異なったり、特に大量生産用のトンネル窯で焼くと1/3は溶けて棚板やエンゴロなど窯道具を傷めちゃうんですよ。うちも開発した時は同じように難しかったけどここで開発をやめたらカネコ小兵のレベルが上がらないと思って努力して作ったからね。似たようなものは、当時すごくたくさんあったけど量産が難しかったから結局無くなったね。

●多様なぎやまん陶の漆ブラウン。唯一無二のその色合いは、結果的な技術としてコピーを防いだ

司会:深山のsasasaシリーズ→online storeの時もそうで、転写屋さんで転写紙は買えるので他の窯元もかなり手掛けててました。でも、手間だし色んな感覚が必要になるので結局コピーは無くなりましたね。そういう意味ではやっぱり各窯元の技術力は重要ですね。

作山窯:でも技術力だけでも、問屋さんにコントロールされたままなら価格を上げることが出来ない。そうすると結局やめちゃうよね。

カネコ小兵:だからこそ技術力と同時に企画力だね。窯元は、技術力はあっても企画力が無かった。でもそれは両輪だからね、だからこれから身に付けるべきは【企画力】だと思う。

深山:でも今の時代は企画力って必要ですか?企画という言葉には色んな意味があるけど、その「形」においては、例えばファッションでも昔はすごく奇抜で個性的なデザインがありましたが、今は普通のものを気持ちよく機能的に使うことが大切な気がします。食器も、昔は長方形など色んな製品を作っていたんですけど、今は僕らみたいな鋳込み成形でも*5丸い皿を作るようになりました。使いやすい居心地のいい生活のための製品となったら形のデザインは似ちゃうと思うんですよね。 

 形よりも大切なのは背景の差別化というか、そのメーカーのモノづくりやモノ自身のバックグラウンドですよね。だから製品の形やもしかしたら雰囲気ですら似ちゃうんじゃないですかね。そういう意味でわざわざ企画力が必要でしょうか?2021年11月26日掲載)⇒第四回座談会「(第10話)何を企画するのか?(仮)」に続く・・・*次回12月3日掲載予定(毎週金曜掲載)


●脚注:*1.正式な名前は多治見市陶磁器意匠研究所。通称「意匠研(ishoken)」https://www.city.tajimi.lg.jp/ishoken/ 。多治見市になる陶磁器の知識や技術を学ぶ2年制の施設。多くの陶芸家や作家、デザイナーを生み出している。美濃焼の産地にはこうした焼き物を学ぶ場所があり。他にも多治見工業専攻科https://www.instagram.com/tajimikougyo_senkouka/ という高校に併設された施設もある。*2.瑞浪市の恵那市境界にある地区。陶器の陶とかいて「すえ」と読む。明治17年に白色磁器の製造に成功し以降、昭和中期まで海外向け洋食器の生産地として隆盛を誇った。当時は「陶の御三家」と呼ばれ従業員数が500から1000人を超える巨大工場があった。しかし1985年のプラザ合意以降に日本円が変動為替になり急激に輸出が減少し、現在は巨大工場の姿は消えた。 *3.下請けが主体の時代はコピー製品であるとはいえ窯元自身が作った製品であっても自社のロゴをつける事ははばかられ、問屋のロゴを入れるケースも多くあった。窯元が製品に自社ロゴを入れる行為は当時の産地内ではタブーとされていた行為。 *4.窯元と問屋で分業で製品の開発販売がされていた時代には、企画は問屋が行うものだった為、窯元には企画担当は不要だった。そのため窯元は経営におけるコストの中にそうした人材のコストを組み込んでおらず、いざ企画担当の採用を考えると、その費用はそれまでの経営には無かった新たなコストとして発生する。こうした環境が窯元が企画担当を雇用する際の精神的、物理的な障壁となっている。 *5.石膏型に泥を注入して成形する「鋳込み成形」は、形状の自由度が高い半面、大量生産に使用される「機械ロクロ(動力成形)」と比較すると生産数は5分の1程度となり高コストなものづくりとなる。そのため価格勝負となり易い丸いお皿を鋳込み成形で作る事は、産地の中での取引と中心とする窯元とってはタブーな行為であった。深山の場合は2005年に自ら販売会社を立ち上げ東京など消費地に直接発信をはじめた。すると従来の産地内のタブーに囚われないものづくりが可能となり、現在では鋳込み成形による丸いお皿の製造もおこなっている。


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