(第6話)『美濃の分業制は必要か?』‐美濃焼について思うこと‐

『美濃焼について思うこと』*第5「地域としての特徴、商売としての課題?」から続く


―(第6話)美濃の分業制は必要か?(語り手:カネコ小兵 伊藤社長、作山窯 高井社長、深山 松崎社長)

司会:製造と販売の分業。この『分業』という言葉も美濃焼を語る上で出てきますが。この分業制そのものにも問題があるという事でしょうか?

●元屋敷窯跡(左の緑の屋根に覆われた中)。右の大窯はその以前に作られたもの(現:織部の里公園)

カネコ小兵 伊藤社長(以下 カネコ小兵):うーん、ちょっと違うかもね。美濃焼の分業は400年前から行われていたんですよ。ある博物館に約400年前土岐市にあった元屋敷窯*1から発掘された当時の志野や織部の器があります。この窯では当時から一般用食器を作っていたんですが、その器を分析すると形を作るロクロ師と絵柄を描く絵付師が別々だった事が分かったそうです。当時の窯を焼くのは大変な作業で、特に元屋敷窯ほど大きい窯を器で一杯にするため、効率的なものづくりとして分業制が良かったんだと思います。当時から国内の日常使いの器づくりを担っていたこの美濃地域では、品質を均一化し量産に向く分業制が最適だったんじゃないかな?

司会:これからはどうですか?

カネコ小兵:今でも同じようなことで、例えばほとんどの窯元では、釉薬は作れないし、石膏型も作れないから、専門の釉薬屋さんや型屋さんに依頼する。製造ための分業はこれからも必要だと思う。

司会:製造の面では、釉薬にしても型にしてもそれぞれで技術力が必要となるので分業制との相性が良いと思いますが、先ほどの『美濃焼株式会社』として営業と製造の分業はどうでしょう?

作山窯 高井社長(以下 作山窯):ですね。そのタイプの問屋さんは、そこが無くなると存在意義が薄れるから。

深山 松崎社長(以下 深山):分業制という手法自体には別に意見はないけど、現実として、原料や釉薬や型と言った製造の前の段階のことは自分たちにはできないし、製造後の工程となる上絵付だとかイングレ絵付け*2まで自分たちで手掛けることは考えていないので、必要な分業はあると思う。

●天草陶石の原石。これを粉砕すると有田焼の青みがかった白磁となる。

深山:更に言うと、製造に限ればもっと広い分業も考えてて、それは美濃焼産地の中だけではなく、その他の産地との分業なんて面白いと思ってます。僕は九州の天草陶石*3から生まれる器の質感が大好きなので美濃焼の範囲だけではない製造はしたいんですよね。有田で工場を作ってみたいくらいです。

作山窯:やってみたらいいじゃない。すごくいいと思うよ。

深山:本当にそう思ってます。ドイツのマイセン*4の食器みたいにカッチンカッチンでリューターで削ってもなかなか削れないぞっていう硬質な白磁素材を見るとワクワクします。

カネコ小兵:もしこの産地の分業制が崩壊したらどうなるだろうか?原料屋がなくなるとか、型屋がなくなるって言うことがあっていいんだろうか?小兵はそれが無かったらモノを作れない。誰かが簡単に取って代われるものでも無いと思う。その点はすごく危機感を持っています。一部で言われるように、型職人を自社で抱えたり、機械を買い土を練ったり、釉薬を自分で調合するという事が、現在の同等のレベルで出来るんでしょうか?。

●美濃に留まらない分業を語る松崎社長(左奥。聞く高井社長(中央)と伊藤社長(右手前)

深山:そういう危機的なほどに型屋さんや土屋さん、釉薬屋さんが減少する時代が来たとするならば自分たちでも考えないといけない。それは伊藤社長がおっしゃるように自社で行うという積極的な方法だけでなく、新たな開発を止めたり、釉薬の種類を少なくしたりなどの消極的な方法もあり。現実としてはそちらに進む可能性が大きいと思います。そうせざるを得ない段階では遅いから、まだ何とかやっていられる今の内に考えたいですね。

カネコ小兵:それがどうも喫緊な状況だよね。型屋さんも成形外注さんも高齢化して後継ぎがいないんだよ。後継ぎがいないと急きょ供給がストップする可能性がある。土、型、製造のどの供給が無くなっても生産量は大幅に減る。後継ぎ問題は一社一社の課題ではなく産地全体の課題で、その危機感を問屋さん含め全体で共有して対策しないといけない。それぞれに後継が出来て安定的な供給体制をもったサプライチェーン・マネジメントができるように考えていかないと結局、この生産地全体が困っちゃわないかな。この問題こそ美濃の産地全体で分業して対応しないといけないよね。2021年11月5日掲載)⇒第四回座談会「(第7話)美濃焼は一つの産地ではない!(仮)」に続く・・・*次回11月12日掲載予定(毎週金曜掲載)


●脚注:*1.「もとやしきがま」と読む。江戸時代初期に土岐市久尻にあった窯。この窯の有する美濃最古の連房式登り窯は全長24メートルに達しその生産量が測られる。この大きな窯を一杯にする食器の製造のために、それぞれの職人が得意技術に特化する事で生産量を確保するために分業が行われた。現在は織部の里公園内に史跡としてその姿を残している(現在は史跡整備工事中で令和4年まで見学不可) *2.「上絵付(うわえつけ)」「イングレ絵付」はいずれも陶磁器に絵を描く技法。本焼成し完成した器に手書きまたは転写により絵柄を施し、本焼成より低温で焼き付ける。上絵付は約800度程度で焼き付けるが、低温で焼き付けるため絵具の発色が良く鮮やかで彩り豊かな表現が可能な反面、器の表面に焼き付いている為、洗浄などにより経年で絵が摩耗し色あせる。イングレ絵付は高温の1000~1100度程度で焼成する為、器表面の釉薬が少し溶けて、その内側に絵柄が浸透する。上絵付より色の鮮やかさは落ちるが経年変化で色が褪せることは無い。イングレの英語表記は「in gleze(イングレーズ)」。釉薬(glaze)の中(in)に絵柄が浸透している事に由来する。 *3.「あまくさとうせき」と読む。熊本県天草郡で産出される天然の陶石。一般的な陶石は食器を作るためには他の土を調合して、白さを出したり、粘り気を出さないと形を作る事が難しいですが、天草陶石は産出時点で奇跡的な原料のバランスとなっており他の土を調合しなくても美しい白磁として焼きあがる。有田焼はこの天草陶石に近しい泉山陶石を佐賀県有田町で約400年前に朝鮮半島から渡来した陶工「李参平(りさんぺい)」が発見したことが始まりとなる。 *4.マイセンとはドイツの地名であると共に、ヨーロッパ最上位の白磁ブランド「国立マイセン製陶所」を表す。1700年頃、中国の景徳鎮や日本の有田から輸出される白磁の器は宝石と同様に高い価値を持っていた。この白磁を自国でも製造するためにヨーロッパ各国では開発が競われた。ドイツではマイセン地方近郊で白磁の素材となる良質なカオリン(白色度の高い粘土)が産出されたためこの地に王立の陶磁器製造工場が設立され現在のマイセン製陶所に通じる。


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