(第2話)『作山窯 高井社長が思う今の美濃焼』‐美濃焼について思うこと‐

『美濃焼について思うこと』*第1話「それぞれが思う今の美濃焼は?前編」から続く


―(第2話)それぞれが思う今の美濃焼は?中編(語り手:作山窯 高井社長)

‐作山窯 高井社長が思う今の美濃焼‐

作山窯 高井社長(以降 作山窯):今の美濃焼の状況は、当たり前って言ったらおかしいけど、なるべくしてなっていると思っていて、それは伊藤社長が言われたみたいに窯元だけじゃなくて他の産業でもあてはまるんじゃないかな。作れば売れたという需要が旺盛な時代*1は産地という地域としての定型的な特徴があれば生きてこれたし自然と生産量も保つことができた。しかし本当に欲しいものや必要なものしか売れなくなった現代では、作り方、伝え方、売り方などで、地域単位でなく窯元個々の力量や良さを表現していくことが一番大事だと考えていて、産業がこういう状況を経由していくのはある意味仕方がない事だと思ってます。今までは美濃焼にみんなで乗っかっていたと思うんですよね。でも本来はそれは逆でないといけないと考えています。

 例えば、この參窯それぞれの窯元のように、それぞれ窯元として自身の特性でしっかり器づくりを行うこと。そして、そうした窯元それぞれの特性から生まれた多様な製品が集まれは、それで美濃焼が構成されるという考え方かな。

●釉薬を施す工程一つとっても參窯それぞれが美濃焼にとらわれず、自身が表現したい質感を生み出すことを基準にそれぞれの技法で行う。

作山窯:これから五年十年と経っていくと、間違いなく原料も職人さんも外注さんも型屋さんも全て減少*2していく、でもゼロになるわけではない。だからこそ、美濃焼全体に囚われず一つ一つの窯元として、しっかり考え行動する窯元だけが残るんじゃないかなって思っている。。コロナが・・・といっても、他の誰かが助けてくれるわけじゃない。そして、なんだかんだいってもまだまだ美濃焼にはこれだけの数字はあるので、そのとらえ方だと思います。ピークから6割減ったからどうだというわけではなく、少ないなら少ないなりの生き方がある、「まだこれだけある」と考えることが大事。僕は正直な話、資料見て「まだ窯元300軒あるんだ」って思いましたね。イメージでは250軒くらいで、今後100軒台になると思っていたので、想像してたよりけっこう残ってるんだなという印象です。生産金額にしても平成29年で138億円もある。それと比べたら私たち一社あたりの生産量なんて大したことないから、まだ余地はあるよね、と考えたら知恵を使えば私たちが生きていく事くらい何とかなると思うよ。

●資料の数値をベースに美濃焼の現状について語る作山窯 高井社長

作山窯:その土壌の上で、これから未来を作るために真剣に考えて行動する。当然、他とは違う動きをすれば敵が増えるけど、仕方がないですよね。敵っていうと言い方が悪いですが(笑)、乗り越えないといけない壁はある。そこに一歩踏み出して、向こうから寄り添ってくれるくらいの方がいいじゃないですか。価格も高い安いと言われますが、そういった基準は相手が勝手に決めていることなのですからね。

カネコ小兵 伊藤社長:補足だけど、昔は取引先から同じアイテムでも有田が3000円なら美濃は2000円だとか言われた時代があったけど、本来、物の価値って地域だけにある訳じゃないよね。誰が作ったとか、何を付加価値としたとか、そういうところにも価値があると思う。そういう意味では美濃焼は、今はすごいチャンスの時期だと思う。昔ながらの地域ブランドに左右されず、それぞれの窯元として見てもらえるから。例えば有田焼ほど地域の特性が強い*3と、そこに属さないといけないからその範疇で食器を作る必要がある。だから有田には有田焼から離れたスタイルでブランドとなっている窯元は意外に無いからね。でも美濃焼はそこまで地域の特性は無いから、窯元の特性できちんと器づくりを行えば、これからでも十分に美濃焼を代表する窯元になれる可能性があるから。

●styleシリーズ。黒土と窯変釉による作山窯のものづくりの一端を表現するうつわ。*この器の詳しくはこちらから

司会:ありがとうございました。産地と言う考え方が逆転しました。かつて当然だった、まず産地があってその中に窯元が存在するという環境が、今後目指すべきは、まず窯元それぞれの特性があって、その特性のある窯元が集まってる地域が美濃焼だという事。産地や地域ブランドにぶら下がるのではなく、結果として産地や地域ブランドを支えるのだというお話とても興味深かったです。続きまして松崎社長は今の美濃焼についてどう思われますか?2021年10月8日掲載)⇒第四回座談会「美濃焼について思うこと 後編(第三話)」に続く・・・*次回10月15日掲載予定(毎週金曜掲載)


●脚注:*1.該当する時代は二つ。一つは1985年のプラザ合意以前の日本円が割安なころ、美濃では作られた世界中に輸出する洋食器が昼夜を問わず作り続けられた。もう一つが、その後からバブル崩壊(1995年ころ)までの国内需要が盛んな時期。特に派手婚と呼ばれ結婚式が盛大だった頃の引き出物などの贈りもののが美濃で多く作られた。この時代はある種ステータスのための道具として高級品という均一の価値観で陶磁器は選ばれていたため同じ製品を大量に生産する事が可能であった。 *2.減少の由来は『(第一話)それぞれが思う今の美濃焼 前編』にて伊藤社長より語られている。 *3.有田焼はその歴史的な特性もあって、天草陶石と呼ばれる同地区で産出される上質な原料から生まれる「白磁」と、それに呉須で絵付けした「染付」の器が代表的なスタイルであり、それ以外のもの、例えば陶器を有田焼産地で作る事は違和感がある。しかし美濃焼産地では多様な原料が産出されたことを背景に陶器、磁器、和食器、洋食器と様々なスタイルのうつわを作る事が可能である。


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