(第一話)『高山の家具産業の始まりと今』 他産地、他素材のものづくりに触れて-日進木工(高山市)‐

 新型コロナの状況からすこしずつ落ち着きを取り戻した2022年の參窯プロジェクトでは、3月に産地でのクラフトイベントに4月には銀座松屋さんの催事に出展するなど、当初の目的であったつながりを生み出す活動に重きを置きました。

 そのつながりは使い手とだけではなく、他の産地や素材でものづくりをされる作り手とのつながりも生み出すことが出来ればと考えて、今回は岐阜県高山市で家具を製造されている日進木工*1さんにご訪問し北村社長様からものづくりへの想いなどお伺い致しました。


(第一話)『高山の家具産業の始まりと今』(語り手:株式会社日進木工 北村社長 聞き手:カネコ小兵 伊藤社長、作山窯 高井社長、深山 松崎社長 司会:深山 柴田)

カネコ小兵 伊藤社長(以下 カネコ小兵):今日は忙しい中お時間頂きありがとうございます。北村社長とは岐阜県の事業などでご一緒する事もあり、そうした取り組みなど活動のお話を伺いに来ました。宜しくお願いします。

●今回ご案内頂いた日進木工の北村社長さん

日進木工 北村社長(以降、日進木工):本当に私の話がご参考になるかわかりませんが、業種は異なるとはいえ同じく暮らしにまつわるものづくりに携わる企業としては、きっと共通する部分もあるのかなと思います。特にこれから人口が減っていく社会の中での、改めてのブランディングや地域資源の活用といった事については、私も皆さんからご意見聞かせていただいて勉強したいと思いますので、意見交換みたいな形でお話しさせてもらえればと考えています。

●会場は日進木工さんのショールーム内カフェ「Café Tre」さん。

司会:はじめに家具業界や高山での家具産業の現状についてお伺いしても良いでしょうか?私たち食器の業界では少し長いスパンですが1985年頃の輸出減少*2を皮切りに社会や環境の変化も伴って、消費量や生産量としては減少が続きますが、家具産業全体としての消費量や、且つその中で「飛騨の家具」や御社の製造量に何か変化は起きましたか?

日進木工:まず概要としては、我々含め飛騨の家具産業は、『飛騨木工連合会』*3という組合を基盤として活動しています。現在、22事業所で構成されていますが、ピークと比較すれば廃業もあり構成社は減少しています。しかし、高山市の家具の生産高はおそらく200億くらいあると思いますが、その内、組合員だけで150億くらい生産している高山の基幹産業の一つと自負していますし、日本有数の家具産地として元気に活動してます。ちょっと横道に逸れますが、飛騨の家具の販売先は全国津々浦々47都道府県、輸出も10か国くらいと98%以上は高山以外の地域で、地域外に売って、外資を稼いでいる産業です。外からお金を持ってくることを『外資を稼ぐ』と言ってるんです。

●HIDA(飛騨)の文字をトップに掲げる日進木工ウェブサイト

司会:ガイシの文字は外国の“外”に資本の“資”っていう一般的な外資ですか?

日進木工:そうです。この辺りでは地域外に販売することを「外資を稼ぐ」と言ったりします。これは地域の歴史性から必然的にそういう表現になったと思ってるんですけど、高山は昔から域外に出ていくお金が大きいんですよね。地域や気候的にここで作れない産業が多いので・・・なので昔から「外からお金を持ってくる産業が大切だ」と言われています。そうした外資を稼ぐ産業は他にも“薬品”もありますし、やはり一番大きいのは“観光”*4ですよね。観光産業はおそらく5,600億の市場があります。家具産業はその観光に続いて、高山では誇れる産業かなと思います。

その高山で産業として家具作りが始まったのが約100年前です。1920年。

●訪問した日の高山市は快晴。歴史ある街並みは観光にも最適。

カネコ小兵:思ったより最近ですね。うちが1921年創業で100年目になる。だからそのころ、大正10年のころに家具が始まったということだね。

日進木工:カネコ小兵さんは100年目ですか。おめでとうございます。すごいですね(笑)。高山の家具産業は美濃焼と比べると確かに新しい産業ですね。日本の家具産業では、北海道の旭川市、広島の府中市、福岡の大川市や静岡県などいくつかある産地のなかで、高山市は唯一“椅子づくり”から始まった産地なんです。他の産地はいわゆる“箱もの”と呼ばれるタンスや鏡台などが多いんですけど、高山市は唯一椅子づくりが最初になっています。

●日進木工のダイニングチェア。この椅子づくりが高山の家具産業のルーツ。

日進木工:高山では最初に飛騨産業さんが1920年に創立されて、他の会社さんもそこを追随するような形で起業されて徐々に産地として形成されました。その背景には、当然山に囲まれて素材となる木がたくさんあったという事、そして何よりその木が家具に適している材料だったというところですね。

カネコ小兵:家具というか、椅子に適してる木の種類があるわけ?

 日進木工:そうですね、家具作りで使われる木材は主に広葉樹*5です。ブナやナラなどの葉っぱが落ちるタイプの樹種です。この2つが主な材料で、それは堅いという何よりの特徴にくわえ、どちらとも曲木(まげき)が可能な材料だったんです。秋田県に“まげわっぱ”という木桶がとかありますが、あのような真っすぐな木材を曲げる技法です。当時はなおさら難しい技術でしたが、飛騨産業さんはその技術を用いて家具を作るという、最初からとんでもなく工芸的な家具作りを始められたんです。

●素材となる木材を乾燥のため保管する。山々に囲まれ素材が十分にあったことは高山の家具作りに大きな影響を与えた。

日進木工:飛騨産業さんは高山で最初の株式会社という今でいえばベンチャー企業なんです。支援者として株主を募り、きちんと産業として家具をこの地に根付かせるため、難易度は高くてもまず椅子づくりを始めるという、志し高く取り組まれたんです。そうした活気のもとで産地が形成され日進木工も1946年(昭和21年)終戦まもなくの頃に設立致しました。2022年7月1日掲載)⇒第六回座談会「②日進木工の70年間と事業継承」に続く・・・*7月8日掲載予定(毎週金曜掲載)


●脚注:*1. 日進木工株式会社(にっしんもっこう)。岐阜県高山市にて木製の家具などを製造。1946年に創業し、現在は四代目となる北村卓也氏が代表取締役社長を務める。公式ウェブサイトhttps://www.nissin-mokkou.co.jp/ *2.発端は1985年のプラザ合意。これ以降、急速に円高が進行し輸出が急激に減少し日本国内の景気も停滞した。この対策と反動により、その後、国内景気は回復に向かいバブル景気に突入するが長続きせずバブル崩壊後は、総額ベースでは長期に低迷する(付随する内容は第四回座談会「美濃焼について思う事第0話~第4話」あたりに記載) *3.高山市、飛騨市の家具メーカー等で組織する団体。エコロジー・産地・保証・品質・木材・デザインなどの面で認証基準を設け、その基準全てをクリアした企業のみが使える「飛騨の家具®」の啓蒙、啓発に取り組む。産地展「飛騨の家具®フェスティバル」を毎年開催。公式ウェブサイトhttps://www.hidanokagu.jp/index.html *4.コロナ前の2019年には外国人観光客が60万人を迎える飛騨高山。陣屋など古い町並み、高山祭、飛騨牛、少し足を延ばせば白川郷など多くの観光資源とそれらを世界中に発信する活動により国内有数の観光地となっている。 *5.葉が広く平らな被子植物。対義として針葉樹がある。英語ではHardWoodと呼ばれ針葉樹と比較して硬いこの木材が家具には適しているという。


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參窯その2:作山窯(岐阜県土岐市駄知町)http://www.sakuzan.co.jp/

參窯その3:深山(岐阜県瑞浪市稲津町)http://www.miyama-web.co.jp/


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